【役員のお話】2016年のIdealinkを振り返って・・・
Idealinkの皆さん
こんにちは。ちゃんこです。
2016年もあっという間に過ぎましたね~
半年前に島袋さんとダイエットしていたのが嘘のようです。
あの後、嘘のようにリバウンドしました。
突然ですが皆さん、役員同士って普段どんな会話するんだろうって、
疑問に思ったことはないですか?
私達は現場で働いている一方で、役員達って一体何を思っているのか・・・。
そこで今回、Idealinkの役員陣4人にいつも通りに会話してもらいながら、
2016年を振り返ってもらいました。
私は、2016年は色んなことがあって、
おもしろいことも、むかついたことも、悲しいことも
大きいことから小さいことまでたくさんあって、
毎日がドラマのようでした。
常々、「現場が一番大変や!!!」と思っていたのですが
役員は役員で、たくさんのドラマがあったようで・・・
皆さんも一緒に振り返ってみて下さい。
目次
- 設立するときのお話
- ドタバタだったお話~新卒が入ってくる!編~
- 新メンバー阿部さんのお話
- 広告事業部と金融メディアのお話
- ドタバタだったお話~インターナショナルフランチャイズEXPO編~
- 個々のメンバーのお話
- まとめ
設立するときのお話
丹野さんと俺で「新しい会社のことはやるから、島袋さんはVC(バリュークリエーション)のことに集中して下さい!」っていう雰囲気だったんですよ。
うん。
2月1日には皆に(分社化を)発表することが決まっていて。で、そこから、一気に現場に指示したり、引っ越しの話もあったり、色々あった。勝手に亀岡さんにILのロゴをお願いするとか。
ていうかあれだよね、株本の家でやったの。覚えてる?
2月10日ですね。決起会。
あれまでにロゴをつくろうみたいな感じになって。無茶言って1週間くらいで作ってもらった。すごいモチベーション低い中。Idealinkのロゴは、島袋さんから「レッドオレンジで」としか(要望が)来なくて。
(一同笑)
で、2月の上旬くらいに島袋さんと尾上くんとのLINEグループで、「明日の8時に宮益坂で」って連絡がきて、「会社名を5つ持って来よう」って。覚えてます?
めちゃくちゃ覚えてるよ。
サイバーエンジェルだっけ?
トレンディエンジェルじゃなくて??
サイバーエンジェル。
一番おもしろかったのはアレですよ。島さんが007みた直後だったから、「ボンド」って名付けてきて。
(一同笑)
考えてねえな~。(笑)
なんだっけな、あとゲームマーケティングとか。
あったあった。ゲームなんちゃら。
もう意味わかんねえ。
全員で考えて、思い浮かばないから、藤田さんにアドバイス求めたら「あんまよろしくないですね」って一蹴されて。
(一同笑)
藤田さんから一番最初に提案されたのがIdealinkだったっていう。そしたらコレいいな!って。
理念はもともと考えてはいたから、名前とも合ってたし。
これは初めて全員で撮った写真!
ドタバタだったお話~新卒が入ってくる!編~
IFEで使用する国際フォーラムの会場費用で2,000万円飛ぶのが決まってて、もうやるかやらないか、って話にもなった。住宅EXPOも蓋をあけてみると、600万円くらい払っていた。これをどうするか、という話をしていた。それが3月1日。
※住宅EXPOとは、5月に開催されたイベント。
住宅フランチャイズももともと300万円くらいの赤字だったよね。
400万円ですね。
もともと金がないから、帳簿上じゃなくてリアルに金がショートするっていうことか。
リアルに。
それはヒリヒリ感が半端ないですね
3月はクライアント巡りをしながら、全員で住宅EXPOの営業をしていたよね。
そうですね。一致団結してましたね。毎日その話題で。
その前に新卒が入ってくるから・・・
僕は、その時内定者研修してましたね。分社化の説明は大変でしたね。新卒の子たちからは渋谷(旧VC本社)に行けばいいですか、目黒に行けばいいですか、っていう質問とかもありました。
ああ。
手続き上、向こうに行かなきゃいけないとかあったから。
それはやっぱり申し訳なかった。せっかく同期で入ってきたのに、入社する前に分かれなくちゃいけなかったから。それは心苦しかったのを覚えているよ。
入社式は、恵比寿でみんなで食事にいきましたね。
中華行った。
そっか。撮影もね。撮影やったなあ。あれは、皆「島袋さん何してんだ?」って思ったかもしれないけど。
※カメラマンさんを呼んでILメンバー個々の撮影会をしました。
4月くらいですっけ。
ちなみにあの撮影、改めて狙いを教えて頂けますか?
名もないベンチャーだから、僕の周りの人でさえも、社名すらわかっていなくて。いる人も事業内容もたぶんわかってない人が大半なわけよ。そもそもなんで分かれたのかとか。「社名なに?」みたいな。あと分かれるから、それこそ広報の一貫で。社内向けには、楽しいからモチベーション上がるかな、とか。そういうのが目的。社外に対しては、メンバーのことをわかってほしかった。メンバーはみんな個性あるし、綺麗どころと男前が多いと思っていて。いや、阿部さん含めてですよ。
(一同笑)
阿部さん不細工キャラなの?
まあいいけど!
阿部さん人気ありますからね!
(一同笑)
楽しそうな会社だったりとか、話題になるかなと思っていて。要は分社化するのはネガティブじゃないよ、っていう、仕掛けのひとつとしてやったかたちですね。
「広報チャット」っていうグループチャットが立ち上がって、急に「広報部長の島袋です」ってチャット投げられてきて。あの一言以来、たぶんそのグループチャットでは会話されてないけど・・・。
(一同笑)
こんな写真も撮った!
新メンバー阿部さんのお話
新卒2名が入ってきたときくらいですか?阿部さんが話にあがったのは。3月ですね。たまたま恵比寿のストレッチアップがあるあたりの喫茶店で、誰かと話してるときに、阿部さんがふらっと入ってきたんですね。それで阿部さんに「実は分社化することに決まったんスよ」って言ったら 「え、まじで?!」って。今年一番の衝撃って言われて。
そのときまだ3月ですからね。
適当だな阿部さん!
(一同笑)
今年一番って言ったかは忘れたけど!僕らの業界って、2人社長って長く持たないって伝説があるわけよ。で、いつもどうなってんのか?って言われてて。VCが謎すぎて、よく決算書見せてもらってた。なんでうまくいってんだろうって。だからめっちゃショックだったの。悲しくなっちゃって。まあ、そのときはこうなるとは一切思ってなかったんだけど。
※VCとGMO社はお取引があり、島袋さんがまだVCで営業をしていた時代に、阿部さんはGMO社の営業担当でした。
阿部さんも、今の会社やめようと思ってるんですって言ってたから、手伝って下さいよって言った。そこからですね。
なんで入ろうと思ったかって覚えてないなあ
どういうことですかそれ?
縁っていうことで!
えん!(笑)
大事なところぼやかす(笑)
自分の子供も生まれるのがわかってたから、いろいろ選択肢もあったけど。待望の子供だったし。嫁にもなんて言おうかなって。
奥さんになんて言われたんですか?
俺もそれ聞きたい。
「好きにどうぞ」って。
(一同笑)
で、もう一回島袋さんと一緒にやろうと。
阿部さん、1回その頃に事務所来てると思いますけど、椅子なかったですからね。ダンボールで島袋さん仕事してたからね。
そうでしたね。
机も尾上くんと俺でこう折半して・・・
そうだ。
いつも机のスペースの取り合いになってて。なんか尾上くんのモニターが、すげぇでかいの。
(一同笑)
なんで俺よりでかいモニター使って俺のスペースまで来てんのって。いざこざしてたの覚えてる。島袋さんのダンボールはほんとやばかった。
広告事業部と金融メディアのお話
ワンルームオーナー.comの構想は1月くらいからでしたっけ。
したした。この案件も奇跡だったね。
これは想定外でしたからね。いまの広告事業はこれがなかったら、なかった。広告事業も、やるかやらないかで1回揉めませんでした?
リスティング(広告代理店)はやるつもりじゃなかったけど、そんなこと言ってる次元じゃないなって。理想ばっか追い求めていてもダメだから、獲りにいこうって。でも獲りにいくなら、俺が全部やろうって。全部数字ひっぱってこようと思って。
うん。
改めて思ったけど、やるって決めたら責任持って自分でやらないと、上にいるポジションだからこそそうじゃなきゃダメだなって。そう思ってやった記憶はあるね。懐かしいなと思いながら。
どれくらい離れてたんですか?現場。
3年くらいかな。新鮮だったね。おもしろかった。
その頃は、尾上くんが経理財務やりながら金融メディアやるっていう謎の。(笑)
やってたねー。
僕勉強しましたからね、アフィリエイト。
人いないから、マキ(島袋さんの奥さん)にもお願いした。娘も託児所に預けてた。
阿部さんが入ってくるまで、やってましたね。
ドタバタだったお話~インターナショナルフランチャイズEXPO編~
そうこうしてる間にも、IFEのことを考えないといけない時期になって。
IFE説明会とかやったもんね。
こわかったな~。各所からほんとできんのか?って。
ボリューム感があんまりわかってないかも。どれだけの規模とか。物理的なものはわかるけど。あの国際フォーラムを借りてやった、とか。常識的に考えてどんなものに立ち向かっていったのか、とか。実現したことのレベルが、どれだけ実現可能性が低かったものなのか、やってみたらできちゃった!なのか。本当に未だにわかってないかも。
まず日本フランチャイズチェーン協会は、固い。民間じゃなくて行政みたいな感じ。そのトップの方とそのチェーン協会の会長が入ってくるっていうのはどういうことかというと 、FC業界でいうと、日本経済新聞社がやってるイベントに共催しているので。他のイベントの共催で入ることはまず無理なんですよね。その中でまずサポートしてもらったっていうのがひとつ大きい。それに併せて、米国大使館っていう。大使館だから、その看板が使えるっていうのは結構デカかった。そのためには大ホラ吹いたんですよ。
そうですよね。じゃないと来ないから。なんて言ったんですか?
海外からどれくらいもってくるって言ったっけ。90のブースのうち・・・
60です。
こんなイベントないから、ノラない手はないっていうのを言ったら、じゃあ協力しますよって。中間報告は、辛かった。協力されないかと思った。
(一同笑)
結局、どれだけ呼んだんですっけ?
15。
それは、過去に呼んだ海外本部として考えたらデカかったんですか?
過去最大。
でもそれは、大ホラ吹きましたよね。それうまくいかなかったら、色んなところの信用もなかったですね。
丹野が言ってたのは、「僕らこれ失敗したら、このマーケットから撤退しないといけない」って。
普通に、取引停止になる。
社内に対しても大変だった。どこまで伝えるか。ニューヨークに行ったのも、やるかやらないかをジャッジするために行った。
色んなネガティブポイントと奇跡が順繰りにきたんですね。
結構ぐるぐるしてましたね。社内もキレてましたね。
いい意味でドンパチした。社内の皆の目、疑心暗鬼だった。
色々わからなすぎて!
最後、それを払拭して急にカーブを描けたのは、「足りないのは祭り感だ」って盛さんが言って、ぐいぐい出始めたんだよね。そうすると、俺と丹野の「もっとこうしたらいいのに」っていうストレスが一気になくなって。そこから社内も動くようになったイメージがある。一体感ができていった。あれがなかったらイベントやりきれたかな?と思う。やりきれたかもしれないけれど、赤字になったり、あとで後悔してたことが多 かったかもしれない。
やったことのないものに対する不安の逃げ口が多かったかもしれないですね。もういいじゃん、やろうよ、って最後の最後にしてくれたから、強引に。だからみんなが動いてくれたんじゃないかって思う。直前にな って、そういう一言があって一致団結してやりきることができたのは、いい経験だよね。
個々のメンバーのお話
永田さんが一番変わったと思う。2月と今と比べて。部下もできて、責任感も強くなったと感じるな、と。あと二村くんは変わってないけど、見方が変わったというか。ここ最近盛さんと一緒にいきいきとディレクションやってる彼を見て思った。
そういえば炎上した案件もありましたね。
懐かしい。あの頃、バーベキューも面白かったですね。なんかプロレスやってたよね?
本気で。
めちゃくちゃだった。ちなみに、盛さんが、阿部さんを裸にしたんだよ。
してないです。
本気で傷ついてるのに・・・
(一同笑)
自分で脱いだんじゃなくて??
覚えてないんだよね。
過去の実績でいくと自分で脱いでるはず。
阿部さんたぶん入社して1ヶ月とかで、脱ぎたくても脱げなかったのを脱がしたんだと思います。
じゃあ俺いい気分だったんでしょうね。
バーベキューは、中村さんがやりたいって意見があって実現しましたね。
俺と尾上くんで面談したときだね。
メンバーにフォーカスすると色々あって峻太でいくと、ストレッチって言う現場のトレーナーから今では広告事業で活躍していて、あいつ意外に器用だなっていうのは感じる。中村さんはやっぱり営業のセンスあるよね。新卒っぽくない。
ベンチャーでやってると、採用って本当に難しい。峻太も石松さんも、若くて伸びしろのある人と一緒にやれるのは大きいなあと思いましたよね。教えりゃ知らないうちに伸びるっていうか。火種のタネが大きい感じがあって。
新卒はものになるまでが大変ですね。幸いなことに中村さんは4月から売上ありましたし、石松さんも地味にコツコツ頑張るタイプで、新卒に恵まれてましたね。
この間も話してたよね。本当によかった。
新卒採用したいと思っていてもそう簡単に理想の採用はできないですからね。来てもらうだけでも難しい。
ここでタイムアップ・・・1時間予定していたインタビューは、30分延長していました。
2016年忘年会
まとめ
ここに取り上げていない話もたくさん出たのですが
大人の都合によりカットしました!
それぐらい、色んなことがあった2016年。
来年はもっとパワフルな年に!
皆様お疲れ様でした。
役員メンバーの皆さん、お話ありがとうございました!
2017年のIdealinkへ つづく